Bye Bye Blue Bird (1999)

Bye Bye Blue Bird (1999)

オリジナルタイトル:Bye Bye Blue Bird

監督:Katrin Ottarsdóttir

上映時間:97分

製作国:デンマーク

日本劇場未公開

あらすじ

ランヴァとバーバの友人2人は、長年の外国暮らしから久々に故郷のフェロー諸島に戻ってきた。奇抜な格好の二人は静かな島の風景には不釣り合いで、あえて外国語で話しかけたりしてまるで外国人観光客のよう。生まれて間もなく両親が離婚してフェロー諸島を離れたバーバは、それ以来顔を合わせたことのない母親に会いにいくが、既に再婚して子供もあり、何も知らない今の夫に追い払われてしまう。頭に来たバーバは母親の家の窓ガラスに石を投げつけて割ってしまい、母親の夫に追いかけられる。そこから逃げ出したランヴァとバーバは偶然通りかかった地元の漁師ルニに助けられ、彼とともに北へ向かうことにする。

メモ

  • ロードムービー
  • Katrin Ottarsdóttir 監督の実の娘である Hildigunn Eyðfinnsdóttir がメインキャラクターの一人 ランヴァを演じる
  • フェロー諸島の自然がいっぱい。フェローの自然と言えば・・・もちろん海鳥もいっぱい。
  • 小型版だが、名物のチェーンダンスも見られる
  • 念のためフェロー諸島の場所を知らない人のために。。グーグルマップ参照

コメント

Katrin Ottarsdóttir 監督は、コペンハーゲンの映画学校で映画を学んだ初のフェロー人らしい。フェーロー人によるフェロー語を話されているフェロー諸島が舞台の長編映画は、ドキュメンタリーも含めこの作品以外には同じ監督の作品2本ぐらいしか見当たらないし、そういうことだけでも相当貴重な映画です。Katrin Ottarsdóttir 監督はこの作品の他に、フェロー諸島に関するドキュメンタリーも数本手がけており、最近ではフェロー諸島に住むアーティストに関するドキュメンタリー3部作も製作しています。

この映画の中で描かれているのは母と娘の物語で、バーバにとっては母との再会であり、ランヴァにとっては娘との再会です。そこに妻と息子に逃げられたルニの物語が加わり、フェロー諸島を離れた者とそこに残った者の様々なストーリーが絡んでいきます。監督の Katrin Ottarsdóttir は実の娘にランヴァを演じさせながら、自分の母とも言える故郷への帰還という物語の中で自らのフェロー人としてのアイデンティティを見つめ直しているのかもしれません。

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DVD情報

Bjarnfreðarson (2009)

Bjarnfreðarson (2009)

オリジナルタイトル:Bjarnfreðarson

English Title:Mr. Bjarnfreðarson

監督:Ragnar Bragason

上映時間:105分

製作国:アイスランド

日本劇場未公開

予告編

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あらすじ

殺人の罪による禁固10年の判決で服役していたゲオルグ・ビャーンフレダルションは、模範囚ということで半分の5年で出所することになる。ひさびさに生まれ育った家に戻ったゲオルグだったが、アイスランドでも有名なフェミニスト思想家の母親は受け入れてくれない。住むところのないゲオルグは、かつてガソリンスタンドやホテルで働いていたときの同僚で、表向きは医者になるために大学に通っていることになっているダニエルの家に転がり込む。そこにはダニエルとともにいっしょに服役した同じ職場の同僚オラフルも居候していた。

メモ

  • コメディ
  • 出所したくないゲオルグ。以前の囚人の暴動を主導したと主張する
  • レーニン風の風貌にゲバラの帽子
  • ママと呼ばせないゲオルグ少年の母親
  • アイスランドでも犯罪歴のあるものは職に就くのが難しいようだ
  • ダニエルが図書館でゲオルグの子供の頃に関する新聞記事を発見。まったく関係ないが、その記事の横に日本人によるシシャモ売買の記事が…
  • 共産主義者の祖父と社会主義者の母
  • サンタクロースはアメリカ消費社会のシンボル。クリスマスを祝うのは家族のためであって資本家のためではない。
  • オロフ・パルメ(暗殺された元スウェーデン首相)が父親だと信じ込むゲオルグ少年

コメント

Næturvaktin (2007)

アイスランドで大人気のTVシリーズ3部作 Næturvaktin (2007)Dagvaktin (2008)Fangavaktin (2009) の結末的物語を描いた作品。アイスランドでの公開週の週末にはアバター (2009) 以上の動員を記録したとのこと。これらのTVシリーズを見ていなくてもそれなりに笑えるコメディですが、やっぱり見ていなければわからない部分もあるんだろうなとも思います(オラフルがFMラジオ放送で話しているのは、TVシリーズ内で描かれたゲオルグの話がらしい)。もとは3人のキャラクターを描くTVシリーズを2時間弱の映画におさめる際に、3人すべてのキャラクター説明に時間を割くことも難しいとも思われ、主人公を1人に絞ることになるのは必然かもしれません。他の2人も個性の強いキャラクターなので「?」となる部分が多少あるのは仕方がないことなのかもしれません。

Næturvaktin
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Dagvaktin
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Fangavaktin
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この作品ではその3人のうちの1人、ゲオルグ・ビャーンフレダルションのエキセントリックな共産主義思想がどのように出来上がったのかについて、彼の子供時代の回想を交えながら描かれます。ゲオルグの母親と祖父はともに極端な思想の持ち主で自分たちの思想をゲオルグに押し付けるわけですが、その母親と祖父の間にも思想の違いが見られます。祖父がスターリニズム的傾向が見られるマルクス・レーニン主義なのに対して、母親のビャーンフレドゥルはフェミニズム活動家としての社会主義思想の傾向が見られ、スウェーデンに関する見解などで対立していたりします。これは祖父と母との育った時代の違いによるものかもしれませんが、基本的には祖父から母へ受け継がれた反資本主義思想がもとにあり、それがゲオルグにも引き継がれています。母親とゲオルグの関係を見てみると、祖父から母への思想の受け継ぎも恐らく強制されたものであり、このような親からの強制された人生というものが代々医者であったダニエルの家族の物語に重ねられていき、全体的にはその強制から逃れようとする人達の物語になっているようです。

改めて見てみると、世界恐慌以降、社会民主主義(大きな政府)勢力の強い他の北欧の国に比べて、アイスランドでは自由主義(小さな政府)勢力の方が優勢だった期間が長いようで、イデオロギー的側面の映画内での現れ方が他の北欧諸国と違うアイスランドに特有なものがあったりするのかもしれません。また、オロフ・パルメを自分の父親だと信じ込んだゲオルグ少年が自分の名字を変え、しみじみと「ゲオルグ・オロフション」とつぶやくところなどはかなりアイスランド的な場面だと思われます。

なお、元になったTVシリーズがアメリカでリメイクの準備が進められているようですが、キャラクターの設定が大きく変わってしまうとのこと。

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Eläville ja kuolleille (2005)

Eläville ja kuolleille (2005)

オリジナルタイトル:Eläville ja kuolleille

English Title:For the Living and the Dead

監督:Kari Paljakka

上映時間:95分

製作国:フィンランド

日本劇場未公開

あらすじ

ヤッコの次男マッティが自宅の前に止めていた車の火事で死んでしまう。妻のマリヤが悲しみに暮れる中、ヤッコは火事が自分のせいだと責め始める。マッティの死以前の平凡な生活に戻ろうと努力するヤッコ、マリヤ、そして長男のティモだったが、ことあるごとに火事の記憶が家族全員を苦しめる。

メモ

  • 自らの体験をもとにした Gösta Karf の著作 En junisöndag kvart över tolv の映画化
  • 向かいの家に住むヤッコの父親
  • 両親の安全を電話で確かめるために、毎朝20セントを手に学校へ行くティモ
  • 休み時間に父親に電話するために先生に許可を求めるティモ
  • ティモへのクリスマスプレゼントはレゴ
  • 死んだ息子の苦しみを自分も体験しようと試みるヤッコ
  • この映画の舞台となっている町はカーリス(Karis [sv], Karjaa [fi])だが、映画の元になった事件が起こったのはヤコブスタード(Jakobstad [sv], Pietarsaari [fi])らしい。(各リンク:グーグルマップ)
  • チョイ役でカティ・オウティネンやマルック・ペルトラも登場
  • エンドロールでアキ・カウリスマキへの謝辞

コメント

こういうのをPTSDと言うんですかね? 子供の死によっておかしくなり、そこからなんとか普通の生活に戻ろうと苦しむ家族の物語。事故や病気で死んだ子供の父親や母親、あるいはその両方がおかしくなることを描いている映画も少なくないと思いますが、これが戦時下や貧困に喘ぐ家庭の場合だったりするとまた違った物語になってしまうとも思われます。

マッティを失った苦しみから立ち直ろうとする家族の心理描写が続きますが、個人的にはその家族の背景に描かれるものに興味を覚えるました。主人公ヤッコの家のこぎれいな家の無機質さ、妻マリヤの姉やティモの学校の先生たちの妙な冷たさが目についたりしますが、これらをヤッコの家族の異常な状態が前面に出た時の背景として捉えてしまうからでしょう。おそらくヤッコの家庭はもともとはフィンランドの地方都市に生きる平凡な家族であり、このストーリーがマッティの死に至る事件以前の状態に戻ろうとする家族の物語であることを考えると、その背景にあるものも実は平凡な日常であり、そういう意味では一般的なフィンランドの家庭の生活を見ることができる映画なのかもしれません。

監督の Kari Paljakka は1985年に起こった Gösta Karf の事件について報道するテレビを20年前に見て以来この家族に関して興味を持ち続け、Karfの家族全員への取材を行いながらシナリオを書いたそうです。この物語に長年執着してきた理由のひとつには、監督自身も以前2人の兄弟を事故で失っており、この映画を製作することで兄弟を失った時の両親の苦しみを理解しようとしたのではないかと、インタビューの中で振り返っていました。

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